複雑型子宮内膜異形増殖症発症~治療~寛解~不妊治療~2児出産~その後。
私が複雑型子宮内膜異形増殖症と指摘されたとき、情報が少なく、とても不安になりました。
多嚢胞性卵巣症候群~無月経
初潮のあと、生理は2、3カ月に1回位の月経不順で、中学のときはストレスもかなりあった為か、10カ月位こなくなりました。
高校に入って初めて婦人科に行き、生理を起こす注射を打ってもらい、子宮への血流をよくする為に、当帰芍薬散をもらいましたが、慢性胃炎で、飲むのをやめてしまいました。
生理は10か月に1回位で、生理がないので楽をしていました。
大学に入り、別の病院へ行き、そこでは生理を起こす飲み薬をもらい、しばらく通院していましたが、学校が忙しくなり、また、放置していました。
社会人になり、また、別の病院に行き、生理起こして、子宮を動かしておいた方が良いと、飲み薬をもらい、生理を起こしていました。
今後、妊娠できるか聞いてみると、排卵誘発剤を使ったら、大丈夫だと思うとのことでした。
その後、仕事も夜勤などで忙しくなり、また、放置したりしていました。
不妊治療開始
25歳で主人と付き合いはじめ、主人の家に近くの不妊治療専門のクリニックに行き、初めて多嚢胞性卵巣症候群と言われ、結婚までは、子宮を動かしておくために、生理を起こす薬(デュファストン)を飲んでいました。
28歳で、結婚。
通勤に1時間30分かかるようになり、夜勤、残業ありで、毎日くたくたで、休みの日は遅くまで寝ていて、まとめて家事をするという感じで、病院に行く時間がなくなり、また7カ月放置してしまいました。
結婚後、7か月ぶりに病院へ行き、まずは生理を起こさないと不妊治療ははじめられないからと、デュファストン10日分をもらいました。
しかし、生理は起きませんでした。
次に、デュファストン+プレマリンを処方されました。
少量出血はありましたが、子宮内膜は厚いままで、ちゃんと生理になっていないから子宮体がんの可能性がでてくると言われました。
そして、ノアルテン+ソフィア(7日分)に薬が変更になりました。
その後、生理は3日で終わりました。
初めての子宮体がん検査
内膜がはがれていないので、はじめて、子宮体がん検査(細胞診)をうけました。
結果は陰性でした。
次の生理を起こす為に、ノアルテン+ソフィア(10日分)をもらいましたが、生理は3日で終わりました。
2回目の子宮体がん検査(組織診)をうけました。
結果は悪性ではないが変性ありという結果で、病理医に確認するので、1週間後に来院といわれました。
1週間後の診察で、子宮内膜掻把をした方が良いので、大学病院へ紹介状を書いてもらいました。
大学病院で、子宮体がん検査(細胞診と組織診)と採血を行い、MRIを予約しました。
腫瘍が専門の先生は、大丈夫だと思うけど、ポリープがあったらとった方がいいかもね。という感じでした。
その後、先生から直接電話があり、検査結果で異常が出ているので、はやく受診するように言われました。
検査の仕事をしているので、先生が直接患者さんに電話をするときはがんの時だと思っていました。
すぐに、診察に行きたかったけれど、ぎりぎりの人数で仕事をしていたのですぐには休ませてもらえませんでした。
『複雑型子宮内膜異形増殖症』の診断
ようやく、結果を聞きに行くことができ、『複雑型子宮内膜異型増殖症』の診断でした。
子宮体がんの前がん病変で、このまま放っておくとがんになるといわれました。
子宮を摘出するか、妊孕性を残すために、子宮内膜全面掻爬をして高容量ホルモン治療を行うかの選択でした。
無月経の放置はダメ
生理を起こさないと子宮体がんになる可能性があるということを知っていれば、生理を起こす為に、まじめに通院していたのに…と思ってしまいました。
もっと自分の体を大切にしないといけませんでした。
いつも、後回しにしてしまっていました。
複雑型子宮内膜異形増殖症治療経過
入院して、子宮内膜全面掻爬術を受けました。
そのあとは、高容量の黄体ホルモン剤のヒスロンHを6カ月服用することになりました。
副作用としては、血栓が足にできやすくなることから、足が痛くなったときは、病院に来るように言われていました。
薬の影響で、私の場合は体重が7㎏増加しました。
体温がそれまでは平熱が35℃台もあったのですが、37℃台になり、吐き気もありました。
顔は満月用顔貌になりました。
治療開始と共に、仕事は自宅近くに変え、正社員からパートになりました。
ヒスロンHを服用中も定期的に子宮体がんの組織診を受け、陰性で経過していました。
結局、7カ月間、ヒスロンHを服用して、不妊治療を再開することになりました。
不妊治療再開
不妊クリニックに戻り、治療を再開しましたが、再発しやすい為、はやく治療を進めた方がよいとのことでした。
人工授精を1回だけ行い、体外受精に進みました。
30歳で、ホルモン補充による凍結胚盤胞移植をすることになりました。
私の場合は、多嚢胞性卵巣症候群なので、卵子が39個とたくさん採取できました。
卵巣は腫れて、OHSS(卵巣過剰刺激症候群)になりました。
採卵後の腹痛がつらかったです。
39個の卵子は体外受精後、11個が胚盤胞になり、凍結することができました。培養途中、全滅しそうだったと主治医より話がありました。
多嚢胞の場合は、数はたくさん採れるが、グレードが良くないことが多いようです。
採卵後も、子宮体がん検査を受けたりしていた為、妊娠を急いでいるけれども、検査により、移植ができない周期もありました。
子宮内膜全面掻爬により、内膜が薄くなってしまっているので、移植時も子宮内膜は8㎜以上は厚くなりませんでした。
凍結胚盤胞移植結果
(移植)
1回目 妊娠→6週稽留流産
2回目 化学流産
3回目 化学流産
4回目 2個移植→妊娠→出産(長女) 31歳
5回目 化学流産
6回目 2個移植→妊娠→出産(次女) 34歳
トータルで、8個の胚盤胞を移植し、出産に至ったのは2個でした。
出産時は子宮内膜掻爬の影響で血管が入り込んでいた為か、2回共、胎盤が剥がれにくく(癒着胎盤)、出血多量になりました。
2回目は輸血も経験しました。
子宮内膜異形増殖症発症から10年
現在、子宮内膜異形増殖症発症から10年経過しました。
子宮体がん検査の間隔も徐々に長くなり、年1回、細胞診を行っています。
コメント